1947(昭和22)年5月3日の日本国憲法施行から、きょうで70年です。
日本国憲法が公布された11月3日が文化の日、日本国憲法が施行された5月3日が憲法記念日ですが、その背景にある歴史的な意味を忘れてはいけません。
5月3日は、極東国際軍事裁判(=東京裁判)が開廷した日です。現在、池袋サンシャインシティが建っているところには、かつて「巣鴨監獄」があり、ここで1946(昭和21)年5月3日に、その後2年半にわたる極東国際軍事裁判が開かれました。
現在の日本国憲法はGHQが日本に押しつけたものと考えていらっしゃる方も多いかと思いますが、これについては日本国憲法制定までのプロセスを知る必要があるかと思います。
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が占領統治していた時代、GHQはもともと日本政府に日本国憲法の草案をまとめるように指示していました。そこで日本政府はいくつもの案を提示したのですが、ことごとくGHQに却下されてしまいました。その理由は、草案の内容が、どれもこれも神権天皇制のままで国民主権になっていなかったからです。
そのような状況の中で、GHQ内部の旧ソ連やオーストラリアなどを中心に、天皇を裁判にかけて天皇制を廃止しようとする動きが出てきました。 もし天皇が処刑され天皇制が廃止されることになれば、日本は混乱状態に陥り、共産主義に突っ走る恐れがありました。
そこで、連合国軍最高司令官で戦後処理の最高責任者でもあったマッカーサー元帥はその動きを封じるために、天皇制を残したまま民主主義を基本としたGHQ案をまとめ、日本政府に、これを受け入れれば天皇は安泰だと、受け入れを迫りました。
このような経過をたどって、アメリカ主導で日本の戦後復興が図られることになり、その結果、日本がアメリカの同盟国に組み入れられることになりました。マッカーサー元帥がGHQ案のまとめを急いだ背景にあったのは、すでに始まっていた米ソの対立です。
安倍首相は、いまの日本国憲法は、占領時代につくられた憲法だから私たちの手で憲法を変えていくべきだと考えているようですが、理由と結論がちょっと違っているかもしれません。
実際に日本国憲法が押しつけかどうかというのは、憲法学の議論のひとつで、押しつけ憲法論を唱える憲法学者もいますが、これを押しつけと捉えるべきか、当時の日本政府の考えが神権天皇制に固執して、そこから抜け出せず、そのため、いままさに天皇の身に降りかかっている危機に気がつかなかったと考えるべきか、難しいところです。
2017.05.03