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酒興放論

お気楽に人生を楽しんでばかりいるとバカになってしまうので、せめて1日に1回ぐらいはまとまったことを考えてみようというところから始めたお気楽ブログで、お酒を楽しみながら言いたいことを言うという趣旨です。ふだん、飲み友だちと居酒屋で酒を酌み交わしながら話し、話した先から消えていくような、1話1~2分のたわいもないお話です。心境が変化したら、ある日突然やめるかもしれません。

第22話【佐賀】宮本武蔵ゆかりの宿「湯元荘・東洋館」に投宿

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第22話【佐賀】宮本武蔵ゆかりの宿「湯元荘・東洋館」に投宿

朝9時過ぎに古湯温泉を出発、宿泊客がひと家族だけだったためか、宿の社長、女将さん、仲居さんが総出でお見送りです。

50kmほど走り、焼き物の里、西松浦郡有田町(ありたちょう)にある有田焼発祥の地・泉山磁石場に到着。ここは17世紀初め、陶工・李参平が発見した日本初の磁器原料の採掘場です。

有田町の皿山通りをぶらり散歩すると、どこもかしこも 4月29日から開催される有田陶器市の準備で大わらわです。陶器の大鳥居、陶器の狛犬で有名な陶山神社の境内に続く石段を登りきると、突然、目の前にJR九州・佐世保線の線路が現れました。踏切の警報機はあるものの遮断機がなく、テレビ朝日「ナニコレ珍百景」でスリル満点の神社として珍百景に認定されたところです。この踏切を通過する列車の写真を撮ろうと待ち構えているカメラマンが10人ぐらいいました。

次に、有田から約15kmほど走り伊万里へ移動。鍋島藩御用窯の 鍋島御庭焼 の店に入ると、5代目市川光春(いちかわ・こうしゅん)さんに出迎えていただきました。5代目は女性で、30代の娘さん夫婦と3人で鍋島御庭焼を守っているそうです。焼き物の世界ではとても有名な方なので、一緒に記念撮影をさせていただきました。

伊万里を後にし、20kmほど走って、今回の旅行でいちばん楽しみにしていた旅館、武雄温泉「湯元荘・東洋館に到着しました。この旅館は、江戸時代初期、慶長年間に旅人の宿「諸国屋」として創業してから約400年、1896(明治29)年に隣接する平戸屋を取り込み「東洋館」となってから121年の老舗旅館です。
 
1612(慶長17)年山口県下関市の、関門海峡に浮かぶ島・巌流島の戦いで、宮本武蔵が佐々木小次郎を倒した後で、ここ東洋館に投宿し、晩年に著した五輪書の構想を練ったといわれています。宿のロビーの片隅には、ガラスで囲われた状態で、武蔵が使ったとされる井戸が残っています。

なお、巌流島の正式名称は船島ですが、佐々木小次郎の号が巌流だったことから後に巌流島と呼ばれるようになりました。ちなみに、巌流島の戦いのときの宮本武蔵は28才ぐらい、佐々木小次郎は60才前後だったと言われています。

※写真は、陶山神社の境内に続く「石段と踏切」、「宮本武蔵」と「武蔵の井戸」です。
 
  2017.04.22

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