私は、これまでの人生で、人から説教されたことがあまりなく、思い出そうとしてもなかなか出てこないのですが、ひとつだけ、今でも鮮明に記憶に残っていることがあります。
それは、私が、まだ学生だった1970年代半ばごろ、昭和期の有名なバンドマスターからこんこんと説教された時のことです。
当時、東京・赤坂に「ゴールデン月世界」という高級ナイトクラブがあり、ある日、私はそこで飲んでいました。
そして、近くのテーブルでは「チャーリー石黒と東京パンチョス」の石黒さんが飲んでいたのですが、共通の知り合いから紹介してもらったため、思いがけず、石黒さんと話す機会ができました。
そのころの石黒さんは40代半ば過ぎでした。とても話し好きな人で、早稲田の理工学部での苦学生時代のこと、卒業後、東京パンチョスを結成したときのことなど、いろいろな昔話を面白おかしく話していました。
石黒さんは音楽プロデューサーとしても活動していて、所属していた渡辺プロダクションの、中尾ミエ、布施明、森進一、クール・ファイブたちを育てたことでも知られていました。
森進一については、1965(昭和40)年、鹿児島から上京して、フジTVの「リズム歌合戦」という新人歌手発掘番組で数週間連続して勝ち抜いていたときにスカウトし、内弟子として自宅の離れに住まわせ、デビューまでの間、面倒をみていました。
あれやこれや、にこにこしながら、ひとしきり話した後で、石黒さんが「ところで、どんなお仕事をされているのですか?」と尋ねたので「学生です」と答えたところ、急に真顔になって「学生はこんなところに来てはいけない」と説教が始まりました。
学生の本分は学業であり、お酒を飲むことではなく、・・・ お酒を飲むにしても、学生に相応しいところで飲むべきであり、・・・ 「お説ごもっとも」なことばかりでした。
もし、逆の立場であれば、私も、同様に説教していたかもしれません。
石黒さんに会ったのはそれっきりでした。その後、TVで何度か石黒さんを見かける機会があり、そのたびに「ああ、あの時、説教されたなぁ」とその時のことを思い出していましたが、その数年後に体調を崩し、1984(昭和59)年、56才の若さで亡くなりました。
「今どきの若い者はまったく!」というボヤキは、洋の東西を問わず、古来から脈々と受け継がれてきた伝統で、この先も、永遠に受け継がれていくものだと思います。
それはまた、世間知らずの若者が人として成長していっているという証でもあるのだと思います。
しかし、このところ、街頭でのTV取材に受け答えしている年寄りの発言を聞くと、人としての成長の跡が感じられず「今どきの年寄りはまったく!」と思うこともしばしばあります。
2017.09.28