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酒興放論

お気楽に人生を楽しんでばかりいるとバカになってしまうので、せめて1日に1回ぐらいはまとまったことを考えてみようというところから始めたお気楽ブログで、お酒を楽しみながら言いたいことを言うという趣旨です。ふだん、飲み友だちと居酒屋で酒を酌み交わしながら話し、話した先から消えていくような、1話1~2分のたわいもないお話です。心境が変化したら、ある日突然やめるかもしれません。

第166話【芸能】歌い手は死して曲と歌声を残す

40数年前に脚光を浴び始め、これからという時に病に倒れ、若くしてこの世を去ったジャズシンガーがいました。

木村芳子です。

彼女は、1945(昭和20)年6月生まれ、駒澤大学在学中から米軍キャンプで歌い始め、卒業後、ジャズシンガーとなりました。六本木のジャズバー「J&B」ではリーダーを務め、赤坂のナイトクラブ「ゴールデン月世界」などでも歌っていました。

当時、私はまだ学生でしたが、共通の知り合いから木村芳子を紹介され、その後、何度か会う機会があり、コンサートにも足を運びました。

東京都内で開催されるコンサートでは、いつもドラム奏者のジョージ川口と一緒に活動していました。ジョージ川口はその当時から有名でしたが、後に「ジャズドラムの神様」と呼ばれるようになりました。

昔のことですので記憶が断片的になっているところもありますが、長い時間の流れの中から切り取られ、今でも鮮明に目に焼きついている瞬間もいくつかあります。

1976(昭和51)年、新宿の「厚生年金会館」での木村芳子のリサイタルの時のことです。

開演前のロビーにステージ衣装のまま現れた木村さんが、私を見つけて「まぁ、いらしていただいてたのね!」と満面の笑みで暖かく出迎えていただいたこと、また「ヒゲの殿下」として親しまれた寬仁親王がどういう縁だったか忘れましたが、木村芳子をひいきにしていて、この日もいらっしゃっていたこと、殿下が警護職員をつけずに軽快な足取りでロビーを歩いていたこと、たまたま殿下とトイレで一緒になったことなどなど、昨日のできごとのように蘇ってきます。

そのリサイタルの翌年、1977(昭和52)年に、木村さんは渡米して録音した「メモリーズ」というLPのファーストアルバムを発表しました。

しかし、このころには、すでに木村さんの身体は癌に侵されていました。

病状については、時々知人から連絡が入っていましたが、本当にあっという間に悪化し、同じ年の9月に、32才という若さでこの世を去りました。

生前の木村さんのいちばんの親友が前野曜子でした。

前野曜子は、宝塚音楽学校卒業後、宝塚歌劇団に入団し、その後、ペドロ&カプリシャスの初代ボーカルとして「別れの朝」で大ヒットを飛ばしましたが、浴びるほどお酒を飲んでいたため、長年の深酒がたたり肝臓を患って、1988(昭和63)年に40才の若さで亡くなりました。2代目ボーカルは、いまも活躍中の高橋真梨子です。

40数年前に木村さんの周りで元気に活躍していた人たちは、みな亡くなってしまいました。

・1977(昭和52)年、木村芳子、享年33(満32才)。
・1988(昭和63)年、前野曜子、享年41(満40才)。
・2003(平成15)年、ジョージ川口、享年77(満76才)。
・2012(平成24)年、寬仁親王、享年67(満66才)。

ちなみに、木村芳子、前野曜子、寬仁親王は同い年でした。

脚光を浴び始め、ファーストアルバムをリリース、順風満帆で、これからというときに病に倒れた木村芳子は、昔のジャズファンの間では「伝説のジャズボーカリスト」と呼ばれているようです。

とても気さくで、ふくよかだった木村さんが亡くなって、今年でちょうど40年になりますが、その歌声は今でも残っています。

「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」と言いますが、歌い手は死して曲と歌声を残します。

ジャズファンの方が2009年にYouTubeにアップロードした「メモリーズ」の中の1曲(4分35秒)の視聴回数が38,000回を超えているようです。

2017.09.13
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