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酒興放論

お気楽に人生を楽しんでばかりいるとバカになってしまうので、せめて1日に1回ぐらいはまとまったことを考えてみようというところから始めたお気楽ブログで、お酒を楽しみながら言いたいことを言うという趣旨です。ふだん、飲み友だちと居酒屋で酒を酌み交わしながら話し、話した先から消えていくような、1話1~2分のたわいもないお話です。心境が変化したら、ある日突然やめるかもしれません。

第162話【芸能】「日劇」閉幕へ、昭和の痕跡がまたひとつ消える、・・・

 来年2月、東京・有楽町の「有楽町マリオン」の上層階にある大型映画館「TOHOシネマズ日劇」が閉館し、東京・日比谷の「TOHOシネマズ日比谷」に移転します。

それに伴い、1933(昭和8)年、「日本劇場」としてオープンして以来、84年間にわたって娯楽の殿堂として親しまれてきた「日劇」の看板を下ろすことになります。

かつて、日劇の5階には「日劇ミュージックホール」があり、 1952(昭和27)年の開業当時はトニー谷やE.H.エリックがコントをしたり、三島由紀夫が脚本を書いたりしていました。

そして、昭和40年代後半、日本テレビの深夜ワイド番組で大橋巨泉が司会をしていた「11PM」に「水原まゆみ」という日劇ミュージックホールの人気ダンサーが出演していて、私もファンのひとりでした。

当時はTVでしか見ることのできない遠い存在でしたが、その後なんどか日劇に足を運んでいるうちに、たまたま水原さんから声をかけられて話す機会ができたことから、グッと身近な存在になりました。

彼女は「忍ぶ川」で芥川賞を受賞した三浦哲郎の小説に出てくる「夕雨子」のモデルになった人でした。ちなみに、彼女の本名は「井上悠子」です。

三浦哲郎の短編集「夕雨子」は、「父恋うる夕雨子」、「愁い多き夕雨子」、「風花のなかの夕雨子」、「風薫る五月の夕雨子」、「晩夏を飛ぶ夕雨子」、「巣に帰る夕雨子」の6篇からなっていて、単行本のあとがきで三浦哲郎は「私が一緒に旅をした踊り子がそのまま小説のなかの夕雨子ではない。夕雨子は、私の心に棲む踊り子である」と述べています。

では「一緒に旅をした踊り子」は誰かということになりますが、それが水原さんでした。

水原さんは東京出身、高校卒業後アメリカに渡り染め物の研究をしていましたが、弟や妹の生活費を稼がなければいけないことになったため、21歳の時にアメリカから戻り、銀座のナイトクラブで踊り子となりました。

その後、東京・六本木で「スナック・夕雨子」を経営しながら、昭和46年から日劇ミュージックホールの舞台に立ち、一躍人気ダンサーになりました。

水原さんはとても聡明な方で、踊り子時代、劇場に出かける前の1時間を執筆にあてエッセイを刊行したりしていました。

ダンサー引退後は、シングルマザーとして子育てをしながら、放送作家として数々のテレビドラマを手がけました。

2003(平成15)年に55才の若さでこの世を去るまで、波乱万丈の人生を一気に駆け抜けた人でした。

その水原まゆみが舞台に立っていた日劇ミュージックホールは、有楽町マリオンができた時に、東京宝塚劇場に移転し興行を続けていましたが、1984(昭和59)年、惜しまれながら50年の幕を閉じました。

そして、来年2月、「TOHOシネマズ日劇」の閉館に伴い、私が若かったころのいろいろな思い出が詰まった「日劇」という昭和の痕跡がまたひとつ消えます。

※画像は「水原まゆみの自伝風の著書・男たちへの花束」、定価2,000円だった本が、古本で3,000円になっているようです。

 2017.09.09
 
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