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酒興放論

お気楽に人生を楽しんでばかりいるとバカになってしまうので、せめて1日に1回ぐらいはまとまったことを考えてみようというところから始めたお気楽ブログで、お酒を楽しみながら言いたいことを言うという趣旨です。ふだん、飲み友だちと居酒屋で酒を酌み交わしながら話し、話した先から消えていくような、1話1~2分のたわいもないお話です。心境が変化したら、ある日突然やめるかもしれません。

第132話【尖閣諸島】中国が領有権を主張する根拠はお粗末、いずれも論理的に破綻

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第132話【尖閣諸島】中国が領有権を主張する根拠はお粗末、いずれも論理的に破綻

2012(平成24)年9月に、日本政府が尖閣諸島を国有化したころに、当時、宇都宮大学の大学院に留学していた中国人女性と、尖閣諸島問題について、ほんの少しだけ話したことがあります。

その時に彼女は「中国には中国の考え方があるんですよ」と言い出したので、「どんな?」と尋ねましたが、あまりまともな答えは返ってきませんでした。

中国も領有権を主張する以上、なんらかの根拠があるはずです。

それは、ざっくり言うと、次の3つになると思います。

①過去の文献:

ひとつは「明の時代に作られた地図に尖閣諸島が載っているから中国の領土だ」という主張ですが、地図に周辺地域が記載されているのは当たり前ですので、これは根拠にはなりません。

もうひとつは、明の時代の歴史文献に尖閣諸島についての記述があり「琉球に属していないから中国の領土だった」という主張ですが、尖閣諸島が中国の領土だったという文献はどこにも存在しません。

さらに、日本の室町時代末期の1561(永禄4)年に明から琉球に派遣された使節が、帰国後、明の皇帝に提出した上奏文に「尖閣諸島の大正島を琉球と記載していた」ことが明らかになったため「琉球に属していない」という中国の主張は崩れました。

このように、中国の主張には歴史的根拠がありません。

②不平等条約:

1895(明治28)年に締結した下関条約は不平等条約で「清国は、台湾とそれに付随している島々を不当に割譲させられ、その中に尖閣諸島が含まれていた」という主張です。

しかし、清国から割譲された地域の中には尖閣諸島は記載されていません。
 
ということは、もともと清国も尖閣諸島を日本の領土として認めていたことになります。

したがって、尖閣諸島が台湾に付随する領土であるという中国の主張は誤りです。

また、日本政府が尖閣諸島を日本の領土に編入したのは1895(明治28)年1月、下関条約が調印されたのは同じ年の4月ですから、タイミングの点でも中国の主張は矛盾しています。

③サンフランシスコ平和条約の否定:

1951(昭和26)年に日本と連合国との間でサンフランシスコ平和条約が締結されましたが、この当時は、中華民国(台湾)の国民党が正式な中国政府でしたので、中国共産党は参加を認められていませんでした。

そのため、中国は、この条約で決定されたことを認めないという主張です。

随分乱暴な主張ですが、これは、中国が、客観的な事実にもとづいた議論を放棄するという意思表示であると思います。

なお、このサンフランシスコ平和条約で、日本は台湾・澎湖諸島の領有権を放棄しましたが、この条約の交渉過程では尖閣諸島については一切議論されず、尖閣諸島は日本の領土として残されました。

尖閣諸島について議論されなかったということは、つい数年前まで日本人が住んでいた尖閣諸島はもともとの日本の領土であることが当然の前提として議論を進めていたことを意味します。

以上のように、中国は、もともと尖閣諸島を日本の領土として認識していましたが、1968(昭和43)年に尖閣諸島の海底に地下資源が埋蔵されている可能性があることを知ったため、尖閣諸島を手に入れたくなり、1971(昭和46)年12月に、中国は領有権を主張し始めました。

領有権を主張するためには、それなりの根拠が必要です。

そこでいろいろ根拠をあげてみたものの、中国の論理は破綻していて、国際法の観点、歴史上の観点で日本と議論してもまったく勝ち目がありません。

そこで、無理を通せば道理が引っ込むとばかりに、領海侵犯、領空侵犯を繰り返し、日本に圧力をかけようという戦術に出ているのです。

私はそのように理解します。
 
2017.08.10
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