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酒興放論

お気楽に人生を楽しんでばかりいるとバカになってしまうので、せめて1日に1回ぐらいはまとまったことを考えてみようというところから始めたお気楽ブログで、お酒を楽しみながら言いたいことを言うという趣旨です。ふだん、飲み友だちと居酒屋で酒を酌み交わしながら話し、話した先から消えていくような、1話1~2分のたわいもないお話です。心境が変化したら、ある日突然やめるかもしれません。

第131話【尖閣諸島】まずは歴史的な事実を確認しましょう!

尖閣諸島は東シナ海の南西部、沖縄と台湾の真ん中ぐらいに位置していて、5つの島と3つの岩礁で構成されています。

それぞれの島や岩礁の具体的な名称は、魚釣島、北小島、南小島、久場島、大正島、沖の北岩、沖の南岩、飛瀬で、総面積は約5.56平方kmです。

現在、日本が実効支配していますが、中国と台湾も領有権を主張しているところです。

ここで、なぜ日本が実効支配しているのか、なぜ中国と台湾が領有権を主張しているのか、経緯を辿ってみたいと思います。

1885(明治18)年以降、日本政府は、尖閣諸島の現地調査を、慎重に幾度となく行って、尖閣諸島が無人島であること、いずれの国にも属していない「無主地」であることを確認した後、1895(明治28)年に閣議決定をして日本の領土に編入しました。

この一連の手続きは、国際法で認められている「先占の法理」にもとづくもので、そのルールにもとづき尖閣諸島の領有権を取得しました。

そして、翌1896(明治29)年、日本政府は実業家の古賀辰四郎に、尖閣諸島のうち、魚釣島、北小島、南小島および久場島の4島を30年間無償で貸与し、無償貸与期間終了後の数年は1年契約の有償貸与に切り替えた後、1932(昭和7)年に4島は古賀辰四郎の長男の古賀善次に払い下げられ、私有地となりました。

その間、古賀親子は尖閣4島でアホウドリの羽毛の採取、鰹漁業や鰹節の製造等の事業を行い、1909(明治42)年には「古賀村」に99戸248人の日本人が居住していました。

しかし、第二次世界大戦前の1940(昭和15年)年頃に古賀善次が尖閣諸島での事業から撤退したため、それまで尖閣諸島に住んでいた人たちも島を離れ、再び無人島になりました。

状況が変化したのは、1968(昭和43)年のことです。

尖閣諸島付近の海底を調査したところ、石油や天然ガスなどの地下資源が大量に埋蔵されている可能性が高いことがわかりました。

それを知って中国政府と台湾政府は尖閣諸島が急に欲しくなり、1971(昭和46)年6月には台湾が外交部声明で領有権を主張し、次いで、同年12月には中国も外交部声明で領有権を主張しました。

なお、アメリカ政府は、1972(昭和47)年の沖縄返還以降、尖閣諸島は日本の施政下にあり、日米安全保障条約第5条は尖閣諸島にも適用されるという見解を示しています。

2012(平成24)年9月の日本政府による尖閣諸島の国有化以降、現在に至るまで、中国は尖閣諸島周辺での領海侵犯や領空侵犯を繰り返しています。

このような中国の動きに対し、日本政府は、全国の図書館や公文書館などが所蔵する文献で、領有権に関する調査を続けています。

今年5月に公表した2016年度の調査報告書には、江戸時代の1819(文政2)年に、琉球王族が尖閣諸島に上陸したとする資料を盛り込みました。

これは、明治政府が尖閣諸島を日本に編入した1895(明治28)年から76年もさかのぼる上陸記録ということになります。

日本政府の方針は、尖閣諸島が歴史的にも国際法上も日本固有の領土であるという客観的な事実を積み上げていき、それを国内外に発信するというものです。

これは、尖閣諸島周辺の地下資源欲しさに領有権を主張し始めた国が存在する以上、やむを得ない作業だと思います。

このような問題を考える際は、まず、歴史的な事実を正しく把握しなければいけません。

しかし、中国では歴史的な事実は情報統制の対象になっていて、国民が知らされているのは、中国政府が領有権主張の根拠として後から考えた見解だけです。

2017.08.09
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