現在、日本政府は、北方4島での漁業や観光などでロシアとの「共同経済活動」をしながら、領土問題解決への糸口を探ろうとしています。そして、北方4島の元島民らのビザなし墓参をその第1歩と位置づけています。
ところで、なぜ北方領土問題が起きたのでしょうか?
この問題を考えるうえでは、まず、1945年8~9月を中心に、歴史的事実を確認しておく必要があります。
1941(昭和16)年4月14日、日ソ中立条約締結(有効期間5年)。
1945(昭和20)年2月4~11日、ヤルタ会談、
米英ソ首脳会談でソ連の対日参戦の密約。
1945(昭和20)年4月5日、日ソ中立条約は1年後に終了。
ソ連が同条約の延長をしないことを日本に通告。
1945(昭和20)年7月17日~8月2日、ポツダム会談、
米英ソ3か国首脳が第二次大戦後の戦後処理を協議。
日本は、この時点では日ソ中立条約は残存期間中で有効と判断し、
ソ連に和平工作を依頼したが、ソ連は黙殺。
8月8日、ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄し、日本に宣戦布告。
8月9日未明、極東ソビエト連邦軍が、南樺太・千島列島、満州・北朝鮮に侵攻。
8月14日、日本から連合国にポツダム宣言の受諾を連絡。
8月15日、終戦。
8月28日~9月1日、ソ連軍が北方領土の国後島、択捉島、色丹島を占領。
9月2日、日本が降伏文書に調印。
9月3~5日、ソ連軍が歯舞群島を占領。
このように、北方4島は、第二次世界大戦が終わって2週間も経ってからソ連軍が占領した領土で、現在に至るまでソ連が、そしてソ連崩壊後はロシアが実効支配を続けています。
だから日本国政府は北方領土の返還を求めているのです。
1951(昭和26)年9月、日本と西側諸国との間でサンフランシスコ平和条約が結ばれ、日本は千島列島、南樺太を放棄しましたが、この千島列島には北方4島は含まれないと解釈されています。しかし、ソ連はこの条約には加わっていません。
1956(昭和31)年10月、日ソ共同宣言で日ソの国交が回復し、ソ連は、将来平和条約締結後に、歯舞・色丹2島の引き渡しに合意しましたが、いまだにソ連との平和条約は結ばれていません。
以上のように、8月15日には戦争状態が終わり、アメリカ主導の戦後処理の局面に入っていますので、北方領土問題の原点は、戦争が終わってからソ連が占領したことです。
北方領土は、日本と戦って獲得した土地ではなく、戦後処理をしていたアメリカにとってみれば、ソ連に盗まれた土地でした。
北方領土は、平ったくいうと、戦後のどさくさに紛れてソ連が盗んだ土地です。盗んだものは返すのが当たり前です。ですから、日本は返還を要求しているのです。
しかし、一般のロシア国民はそのような歴史的な背景を知りません。ロシア国民はそのような教育を受けていません。そして戦後70年に渡って実効支配を続け、既成事実を積み重ねています。
ですから、北方4島の返還に応じると、国内世論の猛反発を受けます。
プーチン大統領は、最近、もし北方領土を返還すれば、そこに日米安全保障条約が適用され、米軍が駐留する可能性があるので難しいと話しています。
ずいぶん変な理由をつけるものだと思いますが、それはただ単に、簡単には返還に応じられないことを言っているだけだと思います。
2017.06.27