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酒興放論

お気楽に人生を楽しんでばかりいるとバカになってしまうので、せめて1日に1回ぐらいはまとまったことを考えてみようというところから始めたお気楽ブログで、お酒を楽しみながら言いたいことを言うという趣旨です。ふだん、飲み友だちと居酒屋で酒を酌み交わしながら話し、話した先から消えていくような、1話1~2分のたわいもないお話です。心境が変化したら、ある日突然やめるかもしれません。

第88話【ロシア】北方領土問題の原点は「戦争が終わってからソ連が占領したこと」

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第88話【ロシア】北方領土問題の原点は「戦争が終わってからソ連が占領したこと」

現在、日本政府は、北方4島での漁業や観光などでロシアとの「共同経済活動」をしながら、領土問題解決への糸口を探ろうとしています。そして、北方4島の元島民らのビザなし墓参をその第1歩と位置づけています。

ところで、なぜ北方領土問題が起きたのでしょうか?

この問題を考えるうえでは、まず、1945年8~9月を中心に、歴史的事実を確認しておく必要があります。
 
1941(昭和16)年4月14日、日ソ中立条約締結(有効期間5年)。
 
1945(昭和20)年2月4~11日、ヤルタ会談、
   米英ソ首脳会談でソ連の対日参戦の密約。

1945(昭和20)年4月5日、日ソ中立条約は1年後に終了。
   ソ連が同条約の延長をしないことを日本に通告。

1945(昭和20)年7月17日~8月2日、ポツダム会談、
   米英ソ3か国首脳が第二次大戦後の戦後処理を協議。

   日本は、この時点では日ソ中立条約は残存期間中で有効と判断し、
   ソ連に和平工作を依頼したが、ソ連は黙殺。

8月8日、ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄し、日本に宣戦布告。

8月9日未明、極東ソビエト連邦軍が、南樺太・千島列島、満州・北朝鮮に侵攻。

8月14日、日本から連合国にポツダム宣言の受諾を連絡。

8月15日、終戦。

8月28日~9月1日、ソ連軍が北方領土の国後島、択捉島、色丹島を占領。
 
9月2日、日本が降伏文書に調印。
 
9月3~5日、ソ連軍が歯舞群島を占領。

このように、北方4島は、第二次世界大戦が終わって2週間も経ってからソ連軍が占領した領土で、現在に至るまでソ連が、そしてソ連崩壊後はロシアが実効支配を続けています。
 
だから日本国政府は北方領土の返還を求めているのです。
 
1951(昭和26)年9月、日本と西側諸国との間でサンフランシスコ平和条約が結ばれ、日本は千島列島、南樺太を放棄しましたが、この千島列島には北方4島は含まれないと解釈されています。しかし、ソ連はこの条約には加わっていません。

1956(昭和31)年10月、日ソ共同宣言で日ソの国交が回復し、ソ連は、将来平和条約締結後に、歯舞・色丹2島の引き渡しに合意しましたが、いまだにソ連との平和条約は結ばれていません。

以上のように、8月15日には戦争状態が終わり、アメリカ主導の戦後処理の局面に入っていますので、北方領土問題の原点は、戦争が終わってからソ連が占領したことです。

北方領土は、日本と戦って獲得した土地ではなく、戦後処理をしていたアメリカにとってみれば、ソ連に盗まれた土地でした。

北方領土は、平ったくいうと、戦後のどさくさに紛れてソ連が盗んだ土地です。盗んだものは返すのが当たり前です。ですから、日本は返還を要求しているのです。


しかし、一般のロシア国民はそのような歴史的な背景を知りません。ロシア国民はそのような教育を受けていません。そして戦後70年に渡って実効支配を続け、既成事実を積み重ねています。

ですから、北方4島の返還に応じると、国内世論の猛反発を受けます。

プーチン大統領は、最近、もし北方領土を返還すれば、そこに日米安全保障条約が適用され、米軍が駐留する可能性があるので難しいと話しています。

ずいぶん変な理由をつけるものだと思いますが、それはただ単に、簡単には返還に応じられないことを言っているだけだと思います。

2017.06.27
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