6月4日、あの天安門事件から28年です。
1989年4月15日、それまで政治改革に積極的だった胡耀邦・前党総書記の死をきっかけとして、政治改革・民主化を求める運動が北京の天安門広場で自然発生的に始まりました。
その運動は、次第に中国各地に広まっていったため、5月19日、鄧小平の決定によって北京に戒厳令が敷かれました。その時、趙紫陽・総書記や知識人たちは学生たちに、デモの平和的解散を促しましたが、学生たちは強硬派が多数を占めデモを継続したため、北京の首都機能は混乱に陥りました。
そして、6月4日未明、学生を中心としたおよそ10万人のデモ隊が天安門広場に集結していたところに、突然、中国人民解放軍が軍隊を出動させ、無差別に発砲し、装甲車でデモ隊を轢き殺して武力鎮圧しました。
中国政府は、いまだに、当時の正確な死傷者数を明らかにしていませんが、10万人が集結しているところに、そのような形で武力弾圧したわけですから、かなり多数の死傷者が出たことは間違いありません。
この事件の後、中国政府は、外国のメディアを中国から追い出し、抗議デモに参加した活動家やその支持者を次々と逮捕し、国内メディアに対しては事件の内容の報道を禁止しました。
中国共産党内でも、戒厳令布告に反対した趙紫陽・総書記はすべての役職を解かれ、2005年に亡くなるまで自宅での軟禁生活を余儀なくされました。
天安門事件は過去に2度発生しました。1976年4月5日の第一次天安門事件(四五天安門事件)と1989年6月4日の第二次天安門事件(六四天安門事件)です。
中国最大の検索エンジン・百度(バイドゥ)で「六四天安門事件」は検索できないと言われています。いま試しにその検索ワードで検索してみたところ、第一次天安門事件についてはほんの少しだけ出てきましたが、やはり第二次天安門事件の方はまったく出てきませんでした。
ちなみに「5月35日」も規制の対象になっています。6月4日=5月31日+4日=5月35日です。
中国政府は第二次天安門事件の真相究明を求める声を抑え込み続けています。
武力弾圧事件が起きてから6月4日で28年になります。ことしの6月4日、台湾の台北では例年通り追悼集会が行われましたが、香港では次第に事件への関心が薄れつつあるようです。香港の若者の間には、自分は香港人であって中国人ではないという意識が広がっているようです。
この事件で命を落とした学生たちの遺族は、28年経ったいまでも、中国当局から常に生活を監視され、墓参りをすることもできず、外部の人たちとの接触も厳しく制限されています。
中国で見られるNHK海外放送は、今年も、天安門事件のニュースになったとたん、当局の介入によってフッと画像が消え、2分間放送が中断しました。
それが中国の現状です。
2017.06.07